管理人の著作です

プロフィール

Author:ファイトほんま(介護支援所ファイト@東京・中野区)
介護福祉士。介護支援専門員。兵庫県出身。広島大学 総合科学部 卒業。

特別養護老人ホーム、デイサービス等の介護職、在宅介護支援センター、社会福祉協議会などを経て介護支援専門員になる。

東京都中野区に単独型の居宅介護支援所「介護支援所ファイト」を設立。

著書「教科書が教えてくれないケアマネ業務」(雲母書房)。
ユーキャンの介護支援専門員スキルアップ講座講師、ダスキン介護情報誌「Re:介護」連載中。

その他、介護支援専門員向けの研修講師、執筆など。

中野区介護支援専門員部会 副会長。

趣味は読書とマラソンと落語鑑賞。特技は浜田省吾の似てないモノマネ(お笑い系)。

妻子と4人家族。学童父母会会長、消防団員など地域活動にも積極的に参加中。

ホームページ
http://www.geocities.jp/fight001honma/

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2009/05/22 (Fri) 13:10
職のある外国人が街を闊歩し、日本人ホームレスが街でうなだれる社会

 たまには、ふと思った雑感を。

 相変わらず、社会では不景気、雇用不安の嵐が吹き荒れているようです。
 リストラを恐れ、残業漬けになっている人も一般社会では少なくないのではないでしょうか。

 ハローワーク、求人紹介センターなどは依然として、多くの人でごった返しているのでしょうか。

 実際、私はローワークなどに、最近、行ったことがないので分かりませんが。

 一方で、あいも変わらず介護業界は人材不足です。
 いつでも、どこでも介護職を募集しています。
 
 そもそも、介護保険以前の措置時代のように、そこそこ給与が安定していた時でさえ、介護職の成り手など、そうそういませんでした。

 それが、当時よりも待遇が悪くなった今、求人に応募がそうそうあるわけないのです。

 マスコミで取りざたされているように雇用のミスマッチが起きていることは明らかです。

 その一方で、少しずつですが海外から介護職、看護職の方々が入国してきています。
 この国に仕事をするために来られた専門職の方々です。

 経済のことはあまり、よく知りません。
 となると、このままいけば、わが国の未来は、こんな風になるのでしょか。

「職のある外国人が街を闊歩し、日本人ホームレスが街でうなだれる」と。
 こんな未来予想が外れることを願ってやみません。
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2009/05/18 (Mon) 15:35
「介護サービスを利用してくれない高齢者」



 ときどき、介護をされているご家族などから、こんな声を聞きます。

「デイサービスへ行ってもらいたいんですけど、嫌がって行ってくれないんです…」、
「訪問介護(ヘルパー)を利用してほしいんですけど、人が家に入ることを嫌って利用してくれないんです…」などなど。

 介護しているご家族にしてみれば、自分達だけに介護の負担がのしかかっているのを重く感じるのは当然のことです。できれば、自分以外の誰か、介護サービスでも何でもいいから、他の介護の担い手もほしいと思われるところでしょう。介護者の方も、その健康状態がいつ崩れるとも限りませんから、万が一のことを考えれば、その想いは正しいと思います。

 一方、高齢者の方は高齢者の方で、ある日、突然、見も知らない他人の介護を受けたり、関係を持つことを嫌がられることにもうなずけます。私たちも、普段、まったく知らない人々の集会へ顔を出し挨拶をしなければならない時や、職場が変わり人間関係が変わるとき、家を引っ越して新しい隣人などに挨拶をするとき、など未知の人間関係に入る時は緊張します。高齢者の方々が、介護サービスなどを拒否されるのは、その意味でとても健全な反応とも思えます。そういった未知なるものへの拒否や性格の偏重や先鋭化によるかたくなさは、老化や認知症の特徴的傾向でもあります。

 しかし、そのまま介護サービスを利用してくれなければ介護家族が困ってしまう現実があります。介護サービスを利用しなくても、なんとか家庭介護がなされていれば、それはそれでいいでしょうが、そのままでは介護家族が介護負担に潰れてしまう場合があります。そんな時、どうやって介護サービスを利用してもらうか。介護者が倒れ、共倒れになる前に、どうやって介護の負担を分散するか。
 
それは、介護者ご自身が心を鬼にすることです。ぶっそうな言い方ですが、そういうことです。(もちろん、虐待をするということではありません)

 先の例で言いますと、高齢者の方は「あなたが介護してくれているから、介護サービスなんていらない」とおっしゃいます。「介護サービスなんて利用しなくても、うちには、あなたが介護の手としているからいいじゃないの」と圧力が掛かってくる場合もあります。

 でも、そのままでは介護者が自分の限界を見極められず共倒れになったり、壊れてしまう現実があります。先に報道された元アイドルタレントの介護自殺が思い起こされます。そうなってしまっては元も子もありません。介護者が元気で健康でいなければ、よい介護などありえないのです。

 そのためには、介護者ご自身が、自らの健康と精神を健やかにすること。「かわいそう」等と思わず、多少、強引な方法に見えても、とにかく、介護サービスを利用してもらうこと。「介護されている方のため」と思って、「一時的に」心を鬼にすることです。(そのノウハウなどは個別にケアマネなどに相談してください)

 「尊厳」という言葉には「尊ぶ」という相手を敬う意味と「厳しさ」の相反する意味で構成されています。優しさだけではなく、時に厳しさがなければ相手も、「自分の尊厳」をも保てないのではないかと感じています。
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2009/04/25 (Sat) 10:58
春のギャラリー

ひな

◎ 少し、時期がずれてしまいましたが、こちらはFさん宅の雛人形。
なんと、94歳のお母様が子供の頃、飾っておられた年代物! 今も立派に現役の人形です。

おきな

「昔のものですから、翁(オキナ)もあるんですよ」とのこと。カラーでお見せできないのが残念ですが、とても品のある人形でした。



sumou.jpg
Mさんは相撲が始まると、星取り表を作るのが仕事です。「何もしないでいたら、ボケちゃうからね!」という奥さんの叱咤激励のもと、自分に興味があり、できることに取り組まれています。

tansu.jpg


◎ベッドからトイレまでの移動時に足がおぼつかないTさん。どこかに手すりをつけられればいいのですが、タンスなどがあるためかないません。そこで、ご家族の斬新アイデア! なんと、家にあったサラシをタンスに結びつけて手すり代わり。「ホントは手すりがつけられれば一番なんでしょうけどね。でも、これでもあれば、随分、違うようです」とご家族の声。介護されているご家族のアイデアに脱帽です!

ume.jpg

奥さんの介護をしているご主人(80代)の庭では、今年もいろんな草花が春の訪れを告げてくれています。

tubaki.jpg


寡黙なご主人なのですが、この花は雄弁です。


歌)しみじみと 今の幸せ かみしめて ほしかったのに 十年の壁

◎今はご家族からいろんな支援を得て生活されているHさん。そのHさんが、かつて詠まれた歌。ご親族と10年ぶりに再開し感激したものの、相手の方のもの忘れがあり、感動を共有できなかった切なさが伝わってきます。
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2009/03/14 (Sat) 09:44
中野区社会福祉協議会さんが「高齢者困りごと支援事業」を開始

今回は中野区限定情報です。

中野区社会福祉協議会さんが「高齢者困りごと支援事業」を開始されました。

電球の交換
モノの移動

など高齢者の日常生活のちょっとした困りごとを手伝う事業です。

利用条件は
中野区在住で、
概ね70歳以上の
一人暮らしか
高齢者のみの世帯

サービス内容は
電球、電池の交換
やモノの移動など、

30分以内で終了する
継続性のない、
簡易な作業。

申し込みは

090−5778−7288
受付時間は 月〜金
9時〜17時まで。
第3月曜、祝日、休日は休み
:::::::::::::::::
とのことです。

もちろん、介護保険制度とはまったく関係のないサービスです。

かゆい所に手が届く。
そんな事業ですね。

あ、大事なこと。
無料で、来てくださるのは、登録されている地域のサポーターと呼ばれる方々だそうです。
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2009/03/09 (Mon) 22:59
「徘徊を止めた、ご家族の決断」

※はじめにお断りしておきますと、私は「徘徊」という言葉が嫌いです。その症状の本質を表していないと思うからです。それは、ただどこかへ「出かけよう」と出かけたものの「どこへ行くのか」を忘れてしまい、その後、「戻るべき家が思い出せず」、その結果、「どこかへ向かって歩かれている」にすぎないと思うからです。ご本人が、その持っておられる能力を最大限に使い、頑張っておられる「誇り高き行動」だと思うからです。しかし、ここでは便宜上、その言葉を使わせていただきます。


 Yさん(女性)は物忘れがあったものの、お一人で住まわれていました。近隣に住んでおられる息子さんが毎日、朝と夜、ごはんを届けたり、掃除をすることでYさんの生活は支えられていました。


 息子さんの当時の心配ごとはYさんのお人好しなところ。点検商法詐欺や勧誘商法詐欺などの人が来ても、人を疑わずどんどん被害にあってしまわれることでした。契約解除ができるクーリングオフ制度を使ったりもしましたが、それでも不安はぬぐいきれません。「家に一人でいさせると心配なので日中、デイサービスへ出かけさせたいんです」。そんなケアプランの依頼があったのです。


 デイサービスの利用が始まり数か月。人柄の愛らしいYさんは、すぐにデイサービスにも慣れました。やがて「毎日の通い介護は疲れますので、たまにはショートステイを利用したいのです」と息子さんより希望がありケアプランは変更されました。


 息子さんの通い介護の負担も軽減したのもつかの間、Yさんが(家にいるにも関わらず)「家に帰ってくるけんのう」と言うようになりました。やがて、そのセリフを残したまま実際に外へ出ていくようになり、警察や近所の店から通報が入るようになりました。

 始め週1回ほどだった徘徊は週2回、3回と増加。その度に町中を探し回らなくなった息子さんは役所で徘徊探知機を借り、徘徊現象の度に、インターネットでYさんの居場所をつき止める引き取りに行かなくてはならなくなりました。


 「いつ、どこにいるのだろうか」「事故に遭ったり、他人様に迷惑をかけたらどうしよう…」。そんな不安が大きく息子さんにのしかかっていたと思います。私も息子さんの浮かない表情に疲れを感じ取り「そろそろ在宅は限界か…」と思いました。ご親戚にも来ていただき、今後のYさんの暮らしをどうするか、みなで話し合いました。 
 と、そのときです。私は、意外なことに気付きました。


 Yさんの家がとてもキレイに整理されているのです。


 当時、Yさんに掃除をするような意欲は感じられませんでしたので、その整った部屋がYさんと不釣り合いに感じたのです。


 と、同時に私には、息子さんが忙しい時間を縫うように訪れ、そのわずかな時間に大急ぎで掃除やゴミ出し、片付けなどをされている映像が浮かびました。「母さんは、そこでテレビでも見てて」と。そして、大急ぎで掃除をする息子さんとのんびりテレビを見るYさんの姿が浮かんだのです。


 そして、私は変人ですので変な疑問が浮かびました。「ここはYさんの家であって、Yさんも(誰かが手伝えば)掃除や片付けくらいできそうだけど、なぜ、家主のYさんが行わず、息子さんが、それを必死になってされているんだろう」と。(詐欺に遭わないようにと)デイサービスへ通い、ショート施設に泊まりと『家からご本人が外へ出る』援助ばかりしているとも思いました。「家にいさせないようにしていれば、誰しも家を忘れてしまうのじゃないかしらん」と、どんどん変な事を考えてしまったのです。


 幸い、その頃には詐欺的なセールスなども途絶えていました。私は思い切って申し上げました。「今、Yさんは、Yさんの家で『生活』をされていないように思います。だからこそ、どんどん、住んでいる家のことを忘れてしまわれるのではないでしょうか。街を以前のように歩いておられないから、街の記憶も忘れてしまわれるのではないでしょうか」と。


 住み慣れた家、住みなれた街で暮らすための道具である介護サービス。その利用をもう一度、見直したいと思いケアプランを訪問介護を中心としたものに変更させていただきました。


 「訪問介護といってもヘルパーさんが掃除をしたり、ごはんを作ったり、買ってきてくれるのではないんです。それをするのは、あくまでYさん自身です。でも、お一人では腰も重いでしょうから、ヘルパーがずっと側について見守り、声掛けしたり、できない所だけ手伝います。最近は店に弁当を買ってくることもされてないようですけど、それをまたヘルパーと一緒にしてもらいます。店から歩いて帰ってくる、それ自体が、徘徊の防止になるかもしれません住み慣れた街の記憶を呼び戻し、外へ出ても自分の家に帰る練習になるかもしれません」。そんな変なことを言いました。


一人暮らしだったYさんの家に他人が入ることには、ご家族としては抵抗がおありだったと思います。家族の思い出が詰まった古い家でしたので尚更。しかし、そこで息子さんは決心されました。訪問介護を家に入れるケアプランで話を進めることを承諾されたのです。 


 やがてケアプランに前述した「ご本人の自立支援のための訪問介護」が組み込まれました。ヘルパーの一番の仕事は北欧等と同様に見守りと声掛けが中心です。同時に認知症の薬は服用されていましたが、認知症の専門医をご紹介し、薬も変更していただきました。

 その後、間もなく。なんと、徘徊はパタリと止まってしまったのです。

徘徊が止み、もうかれこれ半年以上にもなります。1週間に3回、4回と外出されていた事が嘘のようです。


 そして、今日もYさんは、「Yさんの家」で生活されています。ヘルパー、その他の介護スタッフ、主治医、そして、何よりご家族に支えられて。
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2009/03/06 (Fri) 08:47
沖藤典子氏×ファイトほんま

今月 24日、NPO ハスカップさんの市民向けのイベント「ホームヘルプ・サービスについて考えよう」にて、作家で介護給付費分科会委員でもあられた沖藤典子さんとお話しさせていただきます。

飯田橋近辺の方は、是非、ご来場ください。

@詳細やお申し込みは、このブログのリンクにあるハスカップさんをご覧ください。

@@@@@@@@@@@@@@

ハスカップ・セミナー2009-No.01
「ホームヘルプ・サービスについて考えよう」

日時:2009年3月24日(火)18時30分〜20時30分
会場:東京しごとセンターセミナー室
資料代:1500円

☆2009年4月から、第4期介護報酬になり、
  要介護認定も新しいしくみになります。
  そんななかで、介護が必要な人たちの暮らしを支える
  ホームヘルプ・サービスは、どのような状況にあり、
  どのように変わるのでしょうか。
  ハスカップ・セミナー2009の第1回は、
  ノンフィクション作家の沖藤典子さんと、
  独立型居宅介護支援事業所ケアマネジャーの本間清文さんが、
  ホームヘルプ・サービスについて語りあいます。

 多くのみなさんのご参加をお待ちしています!
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2009/02/17 (Tue) 23:11
夫婦の介護

「ご主人は名工」


 介護保険では手すりの設置などの住宅改修が給付対象になっています。そのもっとも多い改修箇所はなんと言っても浴室です。

  日本人は温泉を始め、お風呂が大好きですから、それにもうなづけます。
Sさん御夫婦も、今回、住宅改修で浴室に手すりなどを設置されました。手すり以外にも、浴槽からの立ち上がりなども大変だ、ということで浴槽内に「台」も購入されました。

これで入浴も楽になっただろうと思っておりましたら、ある日、Sさんが「それでも浴槽からの立ち上がりが、お尻が重いから大変だって言ったら、主人がヒモを着けてくれたんです」とおっしゃいます。浴室の住宅改修に手すり設置などの経験は何度もしてきました私ですが、「ヒモ」を使うなんて聞いたこともありません。
  どんなものか見せていただくと、見事にヒモ(というよりロープ)が浴室の手すりに結わいつけられていました。
rope


 立ち上がる時に、運動会の綱引きよろしく、そのロープにつかまり下半身を持ち上げるのだそうです。
 このおかげで、これまで以上に浴槽からの立ち上がりもスムーズに行えるようになり、入浴が安全にできるようになったとのこと。

もちろん、結び目など安全確認は怠ることはできませんが、まさしくご主人は住宅改修の「名工」と感銘を受けたお話でした。

 
 「奥さんは名医」


 ご主人は普段はほがらかな お人柄なのですが、年に数回、ひどく落ち込まれる時があります。専門的な診断をお受けになってらっしゃらないので正確なところは分かりませんが、躁鬱(そううつ)の傾向があるようにお見受けします。昨日までニコヤカだったのが急にすべてに対し否定的になり「死にたい」とか「救急車を呼べ」などとおっしゃられるそうです。

 さぞかし奥さんもお辛いだろうと思って聞いてみると、さすがは長年連れ添われた伴侶と感銘を受けたことがありました。「そんなふうに、ひどく精神的にご主人が落ち込まれた時には、どんなふうに対応されているんですか?」と問う私にこう返されました。

 「そういう時にはね、昔、好きだった映画を沢山、見せるの。「シェーンとかマリリンモンローとか二十四の瞳とか。それで、おいしいものも一杯食べさせるの、うなぎとかおさしみとか。そうやって、いい気持ちにさせてあげてこう言うの。『死んだら、こんないい事できないのよ!』って。 生きてる方が、いいことがあるんだって本人が思うようにするの。そうやって何日か続けてると、いつの間にか、元に戻ってる」。

 これを聞いたとき、私は、この奥さんがご主人にとって、どんな医者よりも名医だと感じました。うつ状態の時には「はげましてはいけない」等、モノの本には、沢山、それらしきことが書いてあります。ですが、そのような一般論を軽く乗り越える「市井の力」を垣間見たような気がしました。

 そして、当のご主人は、今日もニコヤカにデイサービスへ行かれます。奥さんの手の平の上で遊んでいるかのように。
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2009/01/05 (Mon) 15:42
「介護という 他人事の難しさ」


 介護の難しさと辛さは、「自分の問題」ではなく「自分以外の人」の問題だということが大きく関係していると思っています。

 例えば、トイレ一つとってみても自分のことであれば、いつ行きたいかが分かります。もらしてしまったら、それも分かります。後始末をどうしたいかも自分のことであれば(当たり前ですが)自分で考え、どうするかが分かります。ところが他人の介護となると、これらがすべて分かりません。「トイレに行きたいのか、どうか?」「我慢できるのかどうか?」「後始末をどうしたいのか、どうか?」「便秘で苦しいのか、どうか?」それらすべてが分かりません。

 そこで、相手が自らの考えをきちんと(介護者の事情もふまえて上で)表現してくれれば、まだいい方です。しかし、意識面での低下や失語などがありご自分の意思を正確に表明できない場合には、介護者の負担が大きくなってきます。相手の考えや気持ちを確認したり、状況を観察しなければなりません。どうすればいいのか分からない場合などはストレスになりがちです。

 仮に相手の意思がわかったとしても問題が解決しない場合もあります。相手が「お尻を拭いてほしい」と思っていても、こちらが疲れ果てていると、それも難しくなります。それでも相手がお尻を拭いてほしい、と思っていることが分かっている。でも、それをできない自分がいる。すると、そんな「自分を責めてしまう」もう一人の自分が出てきます。すると、今度はそんな自分の内なる声がストレスになります。良心の呵責(かしゃく)に責められストレスを感じることになってしまいます。

 自分のお尻が汚れていても「ま、いいか」と自分が考えれば、それですみますが、介護は自分のことではないだけにことがややこしくなってしまいます。

 更に私たち介護支援専門員(ケアマネ)や介護サービススタッフの視線も気になることもあるでしょう。介護関連従事者が何気なく質問した「オムツ交換をどのようにされていますか?」という質問が、まるで介護者を責めているように感じてしまわれることもあると思います。 そのような「自分以外の人」の問題であるがゆえの難しさ。それが介護というものをしんどくさせている一つだと考えています。それこそ、きちんとやろうと思えば際限がありません。終わりのない無限地獄のようなもので、真面目にやろうと思えば思うほど、自分の首をしめかねません。

そのような状況に陥らないためにも、介護では「趣味」や「スポーツ」等で「自分」の時間を持つことが、とりわけ重要だとされています。
 まして介護は育児と違い「望んで、高齢者の要介護状態」に遭遇したわけではありません。「介護がしたくて」介護者になられた方はまず、いないと思います。介護されたくて要介護状態になられたご本人もいらっしゃらないと思います。
 それでも、生活の中に「介護」があるのは現実です。となると、後はもう介護者の方がいかに、それと付き合うか。そこに問題があるということだと思います。その想いは十人十色です。

 「親から温かなケアを受けて育ったから、それを返したい」と思われる介護者の方もいらっしゃるでしょう。「ケアというケアを受けなかったから、温かいケアをする気になれない」という方もいらっしゃるでしょう。「介護はやってもいいけど、他の家族も協力すべき」「自分だけに介護を押し付けるのは許せない」など等、様々な想いがあって当然だと思います。そして、それら一つ一つの感情や想いに正解はないはずです。自らの胸に手を当て、感じたものが唯一の真実のはずです。感情や感覚に不正解はありません。
 
 その「自分だけの真実」を発見し、それに即した「自分なりの介護」。それができればいいのだと思います。そして、そのためにまず大事なことは、「介護に関わる本当の自分の気持ち」を自覚し、そこから介護と付き合っていくことだと思います。
 そして、私達、介護支援専門員は、そのような「介護者としての本心」を発見するための相談や面接も行っています。ご家庭でお話になりにくい場合には、電話連絡の上、事務所へ起こしください。いつでもお話はうかがわせていただきます。お気軽にどうぞ。
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2009/01/05 (Mon) 13:02
ダスキン×ファイトほんま

re1

ダスキンさんの発行するオリジナル介護情報誌「Re:介護」にコラム連載が決まりました。

もう間もなく、届くところには届くのではないかと思います。

「ケアマネ七転八起」というタイトルで登場します。

第一回目は「訪問介護導入時の禁句」と題しました。

もしも、お手元に届きましたら読んでやってください。


re2
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2009/01/04 (Sun) 10:53
あけまして おめでとうございます。

あけまして おめでとうございます。

どうにか新年があらたまりました。

ニュース等は暗いものばかりが目につきました。

それでも、今日、こうして、ここに生きており、笑顔で人と挨拶できたり、温かいものを食べられる。

その幸せを感じとっていました。

一方で元日から戦争という名の殺し合いをしている人々もいました。

彼らの子供たちは、どんな元日を迎えたのでしょうか。


一遇を照らす 之 国宝なり

ちょっと うる覚えですが 仏教の言葉のはずです

まずは、自分の周囲や自分の周りの些細なものを大事にしていくこと

それが大事であるということ

そんな意味だったように記憶しています。

また、今日は、たまたま新聞を読んでいると 仲代達也さんのインタビューが載っていました

戦争中、あのような状況でも生き延びてこられた

大変なときこそ、うろたえてはいかん と

そんな感じのことが書いてありました。

やはり、年と経験を経た方々の言葉には重みと真実が宿っています

そして、僕も そのような年と経験を経て、長年 生き延びてきて来られたサバイバー=高齢者の方々と接する仕事をさせていただいいます。

なんだか、その方々の語りに耳を傾けてみたい心境です。

今年も よろしく お願いいたします。
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2008/12/25 (Thu) 09:05
再度、「散歩」について

しばらく前に、厚労省が「散歩」について介護報酬を認める回答を出したことは御存知かと思います。ただ、この回答の仕方が曲者で「適切なケアマネジメント」がなされていれば、という一言が入っています。これ、「生活援助の同居者有り」の場合でもそうですし、「通院等乗降介助」の場合もそうですし、「院内介助」「通院の掛け持ち」「認知症の方への見守り」
などすべてにつきまとっている文言です。

いつでも厚労省は最終的には「適切なケアマネジメントに基いていれば」算定可能といってきます。じゃあ、その「適切なケアマネジメントとは何か」というと、大体は「アセスメント」と「サービス担当者会議」というケアマネジメント・プロセスのことをさします。でも、そのアセスメントやサービス担当者会議の内容が非常に浅薄である場合がほとんどです。保険者から「この必要性はどこにあるんですか?」と問われても応えられない介護支援専門員がほとんどです。その結果が、先のコムスン事件時の多額の報酬返還を生み出しました。

今も、サービスの必要性を立証するだけの自信がないがゆえに、大多数の介護支援専門員は生活援助を組むことを恐れています。

また、今更、「散歩」がOKと回答していることについて、考えてみるに、コムスン事件のとき、「散歩」が不適切だということで、コムスンはじめ大手は軒並み、報酬返還をしています。で、今になってOKって、一体、何を考えているんでしょうか? 返還した報酬をまた、返還するのでしょうか? つぶれてしまったコムスンはどうするのでしょうか? その議論もしなければならないでしょう。 誤って報酬返還させた責任はどこにあり、それをどうするのか。 はたまた、あの返還は「散歩」が組み込まれていたから不適切だったのか? 「散歩が必要」だという根拠がアセスメントされていなかったから不適切だったのか。 だとするなら、「散歩が必要」だと根拠づける事柄、エビデンスはどのように導かれるのか。 それらの議論をしなければならないでしょう。

(それでも尚、怒りすら表明しない大手と呼ばれる事業所にも失望していますが)

ちなみに、これは、おそらく、先に沖藤さんの出された意見書を反映しての回答でしょう。個人的には、あの意見書の「通院介助」を独自のサービス体系として創出するという案には賛成ですが、「散歩」については反対です。 
いえ、もっと正確にいうならば、「散歩は介護保険でできるのか、できないのか」という「できる・できない」論に反対です。

今、議論すべきは、そのような表面的なサービス内容云々のことではなく、もっと他のことにあると思うからです。議論すべきは「適切なケアマネジメントとは何か」「必要性の判断根拠は何か」という給付の判断基準をどうするか、ということにあると思うからです。そこの問題を解かなければ複雑怪奇さを増すばかりです。「趣味嗜好の活動も自立支援になるからいいのではないか」「半分は税金で賄われているのだから、同居家族への生活援助も認めていいのではないか」等等。

(軽度者への貸与基準で基準が2転びしたことは記憶に新しいことです)こんな「できる・できない」という次元でいつまで、不毛な論議をするのでしょうか・・・というむなしさがあります。
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2008/12/24 (Wed) 13:23
厚労省が訪問介護における「散歩」を介護報酬の対象として認めると発信した

 先ごろ、厚労省が訪問介護における「散歩」を介護報酬の対象として認めると発信した。
 これについて、いろいろとコメントを求められるので、個人的な見解を書いておきます。

 結論からいうと、「実際に自分の担当利用者で訪問介護による散歩が必要だった場合には、それをケアプラン上に記載していきます」。ということだけです。

 そして、個人的に利用者が「散歩」という希望を出されたときには、先に散歩に関して記事立てした通り、その必要性の程度をはかり、それがベストな選択であれば、ケアプランに記載していきます。

 それがベストの選択ではなく、他にもっとよい選択があれば、そちらを勧めます。

 そんなところになるでしょうか・・・当たり前といえば、当たり前ですが。

 ただ、他の多くの介護支援専門員は、このような通達が出されたとしても、大きくケアプランに散歩を入れることはないと思っています。

 それは、この厚労省の出した文章が「くせもの」だからです。

 文書には「散歩」が「適切なケアマネジメントに基き」認められるとあります。
 同居家族がいる場合の生活援助をケアプランに組み込むときにも、同じような文言があったような気がします。

 これに限らず、訪問介護などのグレーゾーンには、概ね、すべてこの一言がつきまといます。
 つまり「適切なケアマネジメント」に基いていてれば算定可能だよと。

 ところが、「適切なケアマネジメント」とは何かという定義がまったくなされていません。
 業界でも、開発されていません。

 生活援助のマネジメントの適切性について、拙著で多少、突っ込んだ見解し示しました。
 ただ、あれでも不十分な部分はあります。
 拙著における近過去アセスメントの手法、川崎市などが示した法令フローチャート的な手法、それらをミックスしなければ適切性は立証できないでしょう。

 しかし、生活援助のアセスメントでさえ、未だに、この業界では大した変化は起きていません。

 その議論を積極的にしようとする介護支援専門員、訪問介護員たちさえ知りません。

 更に言えば、「散歩」というごく表面的な希望(ディマンド)のみを対象に厚労省が「保険算定できます」などというのも、次元が低すぎます。

 その議論がされるのであれば「窓ミガキ」はなぜ、ダメなのでしょうか?
 同居者家族分の家事支援はなぜ、ダメなのでしょうか?
 病院から病院への2重通院はなぜ、ダメなのでしょうか?

 それらもすべて、「適切なケアマネジメント」がなされていれば、給付可能と厚労省は応えるに違いないのです。

 しかし、その適切なケアマネジメントが何なのか、誰も論じようとしない。
 ケアマネジメント=介護支援専門員の裁量と勘違いしている人もいる。

 この手の表層的な問題は、それについて、細かく検証し、定義などをすればするほど、問題はこじれてくる。
 一方で、介護保険制度におけるケアマネジメントシステムの意味を利用者はおろか、介護支援専門員やサービス事業者でさえ、まともに理解していない。まともに問題を解決しようとしていない。

 いい加減、この嘘で嘘を塗り固めているような介護保険制度を停止させるべきだ。
 確か、いつだったかの年を表す漢字が「嘘」だった。
 それは、今もまったく変わっていない。
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2008/12/20 (Sat) 10:09
SMAP稲垣さんと番組収録終了

SMAP1392mini


 先日、ついにSMAPの稲垣さんの番組の収録が終了しました。
 写真は、思いっきり「ケアマネ」スタイルの普段の「仕事着」で収録に挑んだ本間です。

 あまりに慣れない環境に、緊張してしまいました。
 でも、稲垣さんというアイドルから「介護」 「ケアマネジャー」という言葉が出たときは、とても嬉かったです。

 そのようなものの存在すら無縁のことだと思われているのだろうと、感じていたからです。

本間の他にも、2本の収録があり、その出演者がこれまた以下のすごい代表のお二人。

wasurebumimember

病時保育、病後時保育の取り組みをされているNPO 「フローレンス代表 駒崎さん。

フィリピンを拠点に海外ボランティア、ワークキャンプなどの取り組みをされているNPO「アクション」代表 横田さん。

待ち時間の間に、フローレンス駒崎さんからは、病時保育の取り組みについて、アクションの横田さんからはフィリピンの事情について沢山、お話しを聞かせていただきました。

お二方ともテレビ、新聞などでたまにお見かけする顔です。
そのような方々と同列に並ばせていただけただけでも嬉しかったです。

特に、横田さんからはフィリピン介護職などについての率直な現場の声も聞けとても有意義な時間を得られました。

当日、出会いのあった全ての方々に、あらためて感謝です。ありがとうございました。

・・・でも。

・・・放送日はこれまた、まだまだ先になるかもしれません。
半年先、1年先なんてことは珍しくない業界だと思います・・・

 
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2008/11/28 (Fri) 10:15
大間違いのケアプランその2 〜運動不足なので散歩に連れ出したい〜

 介護保険の申請をされた多くの方は、既に何らかの利用したい介護サービスや事業所が脳裏の片隅にあることも少なくないと思います。
 しかし、高齢者ご本人の生活と介護されるご自分のために、本当に、お考え通りの介護サービスの利用で大丈夫でしょうか?

 介護保険サービスの利用には、あらかじめ、その利用のための計画(ケアプラン)を作成します。
 そして、そのケアプラン作成のお手伝いをするのが我々、介護支援専門員の仕事です。

 ここでは、一般の方々が犯しやすいケアプランの失敗例をご紹介したいと思います。

※例はあくまで参考として挙げるものです。ここに記載しているものが、全ての現場に当てはまるわけではありません。実際には介護支援専門員に相談すれば介護問題を分析し、もっとも必要な介護サービスやケアプランの方向性に関する意見を聞かせてくれるでしょう。
 現場の問題に対する答はすべて現場にしかありません。
 本当に介護の問題をなんとかしたい場合には、よくよく、介護者や要介護者ご自身のことを自らが振り返り、考え、冷静に問題を見直していく必要があります。


大間違いのケアプランその2 〜運動不足なので散歩に連れ出したい〜

 今回は同居されているご家族からの相談でありがちなものです。
 「家にいると、何もしないで、テレビをボーっと見ているか寝ているかなんですよね。一人では外へ出歩くことも危険なので、それも無理ですし。でも、このままじゃ、ますますボケちゃうんじゃないかと思うんです。全然、歩かないと足腰も弱くなるばっかりですし。ですから、訪問介護員(ヘルパー)さんに散歩をお願いしたいんです」

 このような相談が今でも、ときどき見受けられます。
 
ここで考えてみたいのは、散歩を希望するご家族の言い分の妥当性についてです。
 散歩を希望されるご家族の理由として多いのが

1)運動不足の解消
2)本人の気分転換や刺激


といったところでしょう。

 その内容を訪問介護員が援助することがもっともご本人の自立支援を目指すことになるのでしょうか。
 また、散歩をすることが運動不足や気分転換のもっとも妥当な方法なのでしょうか。
 
 結論から言いますと、「運動不足で気分転換にもなるだろうから散歩でも」というような場当たり的な対応では、ご本人の状態改善や状態維持のためにはほとんど役に立たないといってもいいでしょう。(散歩という名の運動を毎日、しっかり実施するとすれば別ですが、毎日散歩を希望する要介護者はいらっしゃらないでしょう)

 このような場合は、大体、ご本人と同居ご家族の生活パターンが決まっていて、家事、炊事などの一切合切を同居ご家族がなさっていることが大半です。

 当のご本人はやることがないから、ただただ時間をもてあましテレビを見るか、ボーっとしているかのどちらかになっています。

 そして、その姿を見かねたご家族が「何かさせてあげたい」と気の毒に思って散歩を希望するというパターンが圧倒的です。

 でも、ここで訪問介護員による散歩が利用できたとしても、ご本人の状態にもご家族の生活にも大きな変化は現れません。
 週に1、2回程度、1時間ほどの散歩が行えたとしても、残りの週5〜6日間(×24時間)は相変わらず、これまでと同じ部屋に閉じこもりボーっとした生活が繰り返されるからです。

 しかも、散歩コースはいつも同じ。
 散歩する訪問介護員も友達でもない、赤の他人。
 その赤の他人とずっと一緒。
 散歩の楽しさとは、「気まま」な行動や「偶然の発見や気付き」を得るために、「意識的に無目的に歩く」ことだと思いますが、それは普段、忙しくしている人や役割のある人にいえること。
 
 日常生活上の役割などを取り上げられ、普段から悠然とした生活をされた方々に、散歩がどれほどの刺激をご本人にもたらすのでしょうか

 ご本人自ら「散歩がしたい」と訴えのある場合は別ですが、多くの同居ご家族からの「散歩」の依頼とは、ご家族の自己満足でしかない場合が多いように感じています。

 しかし、本当にご本人の運動不足解消や気分転換、生活上の刺激などが必要とお感じであれば、まずは、ご本人の日常生活上の役割や居場所を取り上げてはいけません。

 例えば、多くのご家族が親御さんの加齢とともに、その「家事」を取り上げてしまわれます。「危ないから火は使わないで」「食器は洗わないで。洗い残しがでるから」などなどが代表的なものです。

そのように実は、ご家族自身がどんどん、高齢者の方がやっていることを取り上げ、ご本人が「ボーっとする」しかない状況を作っておられる。
一方で、その穴埋めに「散歩」などの代償行為で取り繕うおうとされることが非常に多いのが現実です。

 つまり、高齢者ご本人にボーっとした生活を強いて、かつ、認知面での低下を早めていることの一因には、同居ご家族のあり方が関係しています。
  
 そして、その関係を見直し、どうあればご本人の運動不足や日中の活性化が行えるか。
 また、同時にご家族の自己満足に陥らない、本当にご本人のためになる支援が行えるか。

 それを見つめていかなければ、介護サービスの利用で、それなりの効果を得ることは難しいでしょう。

 また、その家族関係をも含めた介護問題を細かく分析することが、私達、介護支援専門員の専門性であり、居宅サービス計画(ケアプラン)の作成もそこから始まるものなのです。

 そして、多くのご家族がこの些細な、しかし、大きな壁の前で立ち止まってしまわれます。
 
 この問題をクリアするには、「介護の社会化」という概念が関係してきますが、それについては、また、いつかの機会に。
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